2003(第19回) 宮古島トライアスロン大会
平成15年4月20日
天気 晴れ
気温 30℃
平成14年12月24日、毎年この日はクリスマスイブですが同時に宮古島トライアスロンに参加
希望の人の合否発表の日でもあります。
今年も葉書1枚かな?と思っていたけれど分厚い宮古島からの合格通知が届きました。この日
から約5ヶ月間、完走できるように頑張り何とか目的を達成することができました。これもひとえ
に皆様の協力、理解、そして応援の賜と思っております。この場をかりて御礼申し上げます。
4月18日(金) AM6:00舞鶴出発、伊丹発9時の飛行機に乗るため一路空港へ直行する。途中、
舞鶴から参加のK氏と合流する。今年の宮古島大会には運の良いことに舞鶴から5名選考に通り、内
4名参加の大会になりました。私自身3度目の正直で通り、やはり宮古は3回目に通るの格言を証明
したかたちになりました。
AM7:15空港着、時間があったので3人で喫茶店でモーニングセットを食べることにする。3人共、朝
食をとった後のモーニングセット、いつもながらトライアスリートの胃袋にはびっくりする。
AM11:00那覇着、乗り継いでPM1:00宮古着、空港から無料送迎バスで10分程で受付会場に到
着する。驚いたことに、この送迎バスは大会期間中はホテルともピストン輸送で、歓迎ムードが自然に
盛り上がってくる感じでした。さすがは日本一の大会、参加者1500人は半端じゃなく、夕方のワイドパ
ーティでは食べ放題、お酒、ビール等のみ放題、お腹をへらしたトライアスリートには実に助かりました。
4月19日(土) バイクの組立は前日に済ませて
いたので、朝からリラックスムードでした。宿泊ホ
テルはスイム会場でもある東急リゾートだったの
で、なにかにつけて非常に便利でした。庭を散策
していたら、歌でも有名なデイゴの花が満開、また
南国を象徴するハイビスカスも満開、そしてヒマワ
リも満開、宮古島はすでに夏でした。
また、午前中にはトライアスロンクリニックがあり宮
塚、谷選手による宮古攻略法が大変参考になりま
した。(潮は左〜右、後半スタミナ残すように等々・・)
宮古島東急リゾート
宮塚、谷選手のクリニック風景
ハイビスカス
デイゴの花
4月20日(日) AM4:00起床。いよいよ長〜い一日が始まった。
ロングのレースでいつも感じる朝起きた時の気だるさ、不安と期
待、それぞれが入りまじった心地よさを実感する。
朝食を済ませ、前日ホテルでバイクボトルを冷凍依頼してあった
ものを受け取りバイクラックへ行く。まだ5時過ぎなのに選手が続
々集まってくる。だんだんと緊張が高まるのを感じる。
AM7:00 天気 晴れ 気温25℃ 湿度89%とスイム会場で
放送されている。準備完了!いざコバルトブルーの海へ・・・
AM7:30 スイムスタートで参加者1280人が同時スタート、エリ
ート選手が飛び出し、その後から一般選手がスタート。左右の選手
と”行きますか”と声を掛け合ってのスタートだった。思ったほどの
バトルはなく、コースの外側を自分のペースで泳ぐ。
スタートして10分程すると、海水の透明度がまし海底
の珊瑚礁がくっきり見えてきた。期待していた熱帯魚
は?と思いながら泳いでいると、黒いスーツを着たダイ
バーが海底にへばり付いていた。こんな所でも我々を
見守っていてくれる、と心の中で感謝する。
一番景色が良かったのは、第1ブイ(600m)から第2
ブイ(1700m)の間で、珊瑚礁は奇麗し、潮の流れに
は乗るしで、まるで自分がクジラにでもなったような気
分で大きなストロークで泳げた。しかし、第2ブイを折り
返してからが悲惨でした。潮は逆、その上残り1qちょ
っとなので、みんなが中央に集まりだした感じ、残り
500m程からはバトルだった。その上、台風2号のお
かげ?で波(うねり)があり2回程水を飲む、が何とか
スイムゴール。浜に上がると、なんと57分(3000m)
、1500mをいつも30〜35分の自分にとってはベスト
タイム!この調子この調子とひそかに微笑む。
東急リゾートHの中庭でバイクウェアーに着替える。バスタオルで身体を拭き靴下を履き、ヘルメット、グロー
ブ、サングラス、準備OK。ところが、着替えを置く場所を間違えスタッフに注意されパニックに陥る。何とか
預け場所もわかり出発、1〜2分損したかなと思いながら、まあロングやから何とかなるやろ、と気分を切り
替える。スイムで頑張ったせいか、数qも走らないうちにボトル1本空けてしまう。気温も26〜27℃はある
だろう。その上、台風の接近で湿気が多い。このままでは、ガス欠か脱水でリタイヤ?と脳裏をよぎり、サン
ドイッチをゲットする。エイドステーションも充実していて、飲み物はストロングマン(宮古島大会の別名)ネー
ム入りの冷えたボトルを出してくれる。
宮古島は人口約5万5千人、島1周約100qなので1、5周(バイク155q)することになる。佐渡大会の1
周180qと比較すると一回り小さい島になる。スタートから池間大橋は追い風でスピードに乗り東平安名
崎灯台までは逆風となった。宮古のバイクコースは走りやすいと聞いていたが、何の何の、ギヤをインナー
に落とす回数もかなりあった。やはり、人から聞くのと自分でやるのとはかなり違った。3〜4月のバイク練
習で舞鶴のコースを3回走っていたので助かった気がした。
景色が一番良かったのは3つの橋がある所で、特に来間大橋では太陽光の影響で海がほんとのコバルト
ブルー、渡っている途中”奇麗〜”と周りを気にせず大声をあげる。そして100q過ぎから足底から痛みが
くるのを感じる。
スイムスタート直前
来間大橋
いつものことながら、100q過ぎると何処かが痛くなり、
150qを過ぎるとリタイヤしてもいい覚悟ができ、180
q過ぎるとレース後数週間はバイクに乗る気にならな
い。この悪い癖を直そうと辛抱のペダリングをする。
痛い痛いと思いながらも、宮古島の海が痛みを和らげ
てくれた。
130q過ぎからは抜きも抜かれもせず、一路バイクゴ
ールへ・・・。平良市街に入り残り5q手前で、予備タイ
ヤを落下。拾う気力もなかったので、そのまま走る。
何とかバイクゴール、腕時計では6時間12分、着替え
をする。ここでのエイドステーションには、おにぎりがあ
ったので助かりました。やっぱり日本人には米が一番!
ランのコースは島を横断し東平安名崎の手前で折り返す42,195qの陸連公認のコース。
最初の10qは補給と給水を十分採り、足が馴染んできたらペースを上げようと思っていた。10q地点で
58分、これならいけると思ったが折り返してきたトップ選手の足取りが重い。これに気づかず20q通過し
たところで、脱水症状に陥る。折り返し手前の坂が壁に見え、歩いてしまう。折り返し以後、坂という坂は
すべて歩いてしまった。宮古島のコースはアップダウンの連続だった。こんな時、エイドステーションのボ
ランティアの人達が神様だった。エイドは約2,5q間隔にあり、その度に頭から氷水を掛けてもらった。
いつも思うけど、選手はボランティアの協力があってこそ完走出来るのです。
30qを過ぎてからは、エイドステーションのことしか頭になく平地でも歩き始める。そんな時、舞鶴のK氏
とすれ違う。K氏にファイトと声を掛けるが、K氏も手を上げるのが精一杯みたいだ。でもその直後、藤原
さん良い走りしてる!と声が返ってきた。この一言に元気を回復する。この時気温は30℃。
35qを過ぎると沿道からは”おかえり”と声をかけてくれる。もう少しや頑張れ!実に応援の人達の温か
い言葉が励みになる。そして、走りながら自分自身いまここで走れるありがたみを感じながら、また自分
の周りの人達のおかげで、いまの自分があるんだ、とか思っていると自然に涙が溢れてきた。これがロ
ングの良さかな?そんな感傷もつかの間、残り5qの標識、ここからが正念場だった。ゴールの陸上協
技場は目の前でアナウンスの声も聞こえるがゴール入り口が見えてこない。その上、昇り続きで体力は
すでに限界を超えている。残り1qの標識が見えた時、初めてゴールを確信する。
そして、ゴ〜〜ル!夕日が暖かく迎えてくれました。
宮古島大会はトライアスリートの憧れであり、人気NO1の大会です。それはボランティア、沿道の応援、エ
イドの充実、設備面の充実、歓迎ムード、すべてが最高だからです。ぜひ機会があれば参加して下さい。
きっとあなたもはまってしまうでしょう。
ゴ〜ル
成績 10時間36分36秒
239位 / 1280人
35q地点
格 闘 記